中野の書いたブログ「女性であることを強みにかえて。戦う女・石岡瑛子の広告アートディレクション術 」に続き、昭和のデザインを追って、一気に戦前・戦中まで遡ってみようと思います。
時は1942年、東方社という出版社のもとで、プロパガンダを目的とするグラフ誌「FRONT」は創刊されました。激動の国際情勢を反映した内容と、その卓越した表現力・技術力から、戦前・戦中を代表する対外宣伝グラフ誌としてデザイン史に今も名を刻んでいます。
この他に類のない宣伝誌を生み出したのは、原弘や木村伊兵衛をはじめとするデザイナーや写真家たち。 本日は「FRONT」を軸に、制作に関わった人びととその関連書籍をご紹介します。
FRONT 復刻版 第1期

それでは、本巻を構成する海軍号、満州国建設号、空軍号をひも解いてみましょう。

さらに、手前の水兵と奥の戦艦を2色で刷り分けて強調。


軍艦や戦闘機、工場など軍事機密に関わる部分はエアブラシで緻密に修正されています。



組写真として、全体でひとつの主題を表現。
東方社の写真部主任を努めた木村伊兵衛は当時40代、そのもとで働く部員たちはなんと全員20代。彼らはカメラを手に飛行機・戦車・潜水艦などに搭乗し、南はインドネシア・北はシベリア国境まで飛び回るという過酷な取材行程にもかかわらず、クオリティの高い仕事をし続けました。 昭和の男たちのバイタリティたるや、すさまじい。ちなみにカメラは、ライカ社やローライ社のものを使用していたとのこと。
木村伊兵衛展 The Man With the Camera
20世紀の日本を代表する写真家・木村伊兵衛の展示の図録。木村の写真が使用された広告やポスター、雑誌のほか、報道写真、映画の撮影風景を収めた写真などをカラーとモノクロで多数掲載。




東方社美術部主任・原弘は、若かりし日にエル・リシツキーによる斬新なデザインに衝撃を受け、タイポグラフィの理論を研究し、写真とタイポグラフィによる視覚伝達に国内でいちはやく取り組んだ人物としても知られます。現代日本におけるグラフィックデザインの潮流は、原弘というひとりのデザイナーによってはじまったといっても過言ではありません。ポスターや装丁を中心とするその優れた仕事は、大判作品集「グラフィックデザインの源流」や展示図録「原弘と東京国立近代美術館」で見ることができます。
原弘の作品集。ポスターデザイン、ブックデザインなどのビジュアルをカラーで多数掲載。解説と併せて一冊にまとめた貴重なサンプルカタログ「紙の本」も別冊で付属。
2012年に開催された「原弘と東京国立近代美術館 デザインワークを通して見えてくるもの」展図録。対外宣伝グラフ誌「FRONT」や様々な展覧会のためのポスターワークなどを多数収録。


頁をめくる方向と一致させ、スピード感を演出する実験的な試み。
前述のように全号を通し、「FRONT」の制作を担ったのは東方社。物資も人員も不足するなかで仕事を全うしたこの技術者集団には、いったいどんな人びとが集い、どんな思いで働いていたのでしょうか。海外のすぐれた技術を取り入れ、さらなる向上を追い求めるその姿勢からは、国家主義の枠におさまらない柔軟で進歩的な思想がうかがえます。


FRONT 復刻版 第1期
- 編集
- 恩地邦郎
- 出版社
- 三省堂
- 発行年
- 1982年
戦時中に発行された対外宣伝誌「FRONT」復刻版第1期。名立たるデザイナーや写真家がスタッフとして集結し、後の日本デザイン史・写真史に多大な影響を及ぼした。本巻は海軍号、満州国建設号、空軍号、そして解説冊子のセット。
日本の対外宣伝グラフ誌を編纂。日本工房「NIPPON」や東方社「FRONT」など106点のグラフ誌から、選りすぐりのジャケットと本文をカラーで掲載。
ですが、感傷や政治的な思想はさておき、先人たちの遺したすぐれたデザインと歴史背景とを照らし合わせつつ現代へ繋がる系譜をたぐれば、もっと多角的な視野で物ごとを捉え、あらたな発見を得ることもできるはず。そういった意味で、この稀有なグラフ誌の役割はきっとまだ終わっていないのです。
それでは、また。