本日は資生堂が展開してきた広告表現に着目してみたいと思います。
明治維新から間もない1872年(明治5年)、西洋医学を学んだ創業者・福原有信は民間では日本初の洋風調剤薬局として、東京・銀座に資生堂を開業しました。薬の製造販売からスタートし、人をより美しくする化粧品販売、さらに美しく心地よい価値を模索する新たな事業へと、資生堂は「美」の追求を創業の時代から今日まで続けている稀有な企業といえます。
そういった長い歴史を踏まえたうえで「資生堂宣伝史」「異端の資生堂広告」の2冊を中心にデザインの変遷を振り返りつつ、関連書籍をご紹介いたします。
資生堂宣伝史 全三冊揃
本書「資生堂宣伝史」は、創業から1979年当時までに展開されたCI、パッケージデザイン、CM、広告デザインなどの膨大な情報を編纂した資料集です。
明治・大正・昭和を通し、資生堂が化粧品事業を発展させていく理念は、一貫して「より美しいものの追求」でした。1916年には社内に意匠部を設置、当時の日本の代表的なデザイナーたちの、時代の美意識を創りだそうとする意志とともに進化し、アール・ヌーヴォー、アール・デコの様式を取り入れながら、次第に「資生堂スタイル」を完成させていきます。
和文ロゴタイプ。現在の「資生堂書体」ができあがるまで経た何段階もの過程。
大正時代以降は中国で使われた宋朝体活字をベースに、幾人ものデザイナーが手を加えながら受け継がれました。1927年頃にはほぼ現在に近いかたちになっていることがみてとれます。
和文ロゴタイプに一歩遅れて確立した欧文ロゴタイプの変遷。
独自の資生堂調唐草文様。リズミカルで洗練されたデザイン。
前述の和文欧文ロゴタイプ、唐草紋様に加え、資生堂の企業イメージを印象づけてきたのはイラストレーション表現。戦前戦後を通じて、イラストレーションによる広告制作の中心的存在は山名文夫でした。余白を生かし、流れるような繊細な線で女性を描き、モダンで洗練された企業イメージを創りあげていったのです。
また、資生堂に限らず、広告、装丁、挨拶状など幅広くデザインの仕事を手がけた山名文夫。さらに詳しく知りたいかたには作品集や、自伝的エッセイ、展示図録などもおすすめです。
そして時代は変わり1970年代前半、社会の流行は変化し、「アンアン」「ノンノ」などが創刊され、人々のライフスタイルはよりカジュアルな方向へ向かいました。それに呼応するように、資生堂のデザインも改革の時を迎えることとなります。
(左上)昭和42年 AD:中村誠 D:石岡瑛子 P:横須賀巧光 C:犬山達四郎
(左下)昭和44年 AD:中村誠 D:松永真 P:横須賀巧光 C:小野田隆雄
(右)昭和41年 AD:中村誠 D:石岡瑛子 P:横須賀巧光 C:犬山達四郎
昭和49年 AD:中村誠 D:天野幾雄 P:横須賀巧光 C:小野田隆雄
(左)昭和48年 AD:中村誠 D:花内勇 P:横須賀巧光 C:細川拓一郎
(右)昭和53年 AD、D:中村誠 P:横須賀巧光 C:内田今朝雄
資生堂調と呼ばれ、唐草とアールデコを基調としたスタイルが完成に向うと同時に、その枠を破ろうとする動きが生じます。従来の資生堂調の殻を壊す新しいスタイルのデザインは、歳若いアートディレクターやデザイナーによって生み出されました。いわば「反資生堂スタイル」のダイナミックな表現を担ったのは、中村誠、水野卓史、仲條正義、石岡瑛子、村瀬秀明、松永真、太田和彦ら。「反資生堂スタイル」といってもそれは伝統への反逆ではなく、資生堂の伝統的なデザインをより幅広く、強くするための改革でした。
昭和40〜51年 AD:水野卓史 D:久保曩介、海野隆志 P:横須賀巧光 C:天谷行雄 ほか
昭和45年 AD:中村誠 D:村瀬秀明 P:横須賀巧光 C:犬山達四郎
(左)昭和42年 AD:中村誠 D:細越麟太郎 P:津吹純一
(中)昭和41年 AD、D:中村誠 P:横須賀巧光
(右)昭和40年 AD:中村誠 D:村瀬秀明 P:横須賀巧光
(左)昭和42年 AD:水野卓史 D:久保曩介 P:安達洋次郎 C:細川拓一郎
(右)昭和40年 AD:金子秀之 D:税所篤俊 P:小川隆之 C:細川拓一郎
さらに、横須賀巧光、繰上和美、十文字美信など写真家たちの存在も忘れてはなりません。新たな広告表現に挑戦したアートディレクターやデザイナー、写真家、コピーライターたちと、彼らによる変革を受け入れた上層部。すぐれた才能を統合した結果、質の良い仕事が生まれ、資生堂の広告は成功したのです。
1980年以降はフランスのデザイナー、セルジュ・ルタンスの手によるデザイン展開が図られます。東洋の文化に深い理解のあったルタンス氏は以後20年にわたって資生堂のグローバルイメージを手がけました。
創業から1990年代までの資生堂のデザインが凝縮されて掲載されている「美と知のミーム、資生堂展」図録もございます。
明治・大正・昭和を通し、資生堂が化粧品事業を発展させていく理念は、一貫して「より美しいものの追求」でした。1916年には社内に意匠部を設置、当時の日本の代表的なデザイナーたちの、時代の美意識を創りだそうとする意志とともに進化し、アール・ヌーヴォー、アール・デコの様式を取り入れながら、次第に「資生堂スタイル」を完成させていきます。
和文ロゴタイプ。現在の「資生堂書体」ができあがるまで経た何段階もの過程。
大正時代以降は中国で使われた宋朝体活字をベースに、幾人ものデザイナーが手を加えながら受け継がれました。1927年頃にはほぼ現在に近いかたちになっていることがみてとれます。
和文ロゴタイプに一歩遅れて確立した欧文ロゴタイプの変遷。
独自の資生堂調唐草文様。リズミカルで洗練されたデザイン。
前述の和文欧文ロゴタイプ、唐草紋様に加え、資生堂の企業イメージを印象づけてきたのはイラストレーション表現。戦前戦後を通じて、イラストレーションによる広告制作の中心的存在は山名文夫でした。余白を生かし、流れるような繊細な線で女性を描き、モダンで洗練された企業イメージを創りあげていったのです。
また、資生堂に限らず、広告、装丁、挨拶状など幅広くデザインの仕事を手がけた山名文夫。さらに詳しく知りたいかたには作品集や、自伝的エッセイ、展示図録などもおすすめです。
資生堂のキーデザインでも広く知られるグラフィックデザイナー、山名文夫の作品集。パンフレットのデザインから装幀・挿画、広告、プライベートな年賀状・礼状まで、多彩な作品を紹介する。
グラフィックデザイナー/山名文夫によるデザイン見聞録。日本のグラフィックデザイン史としてまとまった文献がなかった時代、自身の体験をもとに先駆者たちが築き上げた道のりを編纂した貴重な一冊の新装復刻版。
「山名文夫と熊田精華展: 絵と言葉のセンチメンタル」展公式カタログ。「資生堂スタイル」を確立したデザイナー/山名文夫、詩人/熊田精華との書簡、関係作品、原稿などを編纂して収録。
(左上)昭和42年 AD:中村誠 D:石岡瑛子 P:横須賀巧光 C:犬山達四郎
(左下)昭和44年 AD:中村誠 D:松永真 P:横須賀巧光 C:小野田隆雄
(右)昭和41年 AD:中村誠 D:石岡瑛子 P:横須賀巧光 C:犬山達四郎
昭和49年 AD:中村誠 D:天野幾雄 P:横須賀巧光 C:小野田隆雄
(左)昭和48年 AD:中村誠 D:花内勇 P:横須賀巧光 C:細川拓一郎
(右)昭和53年 AD、D:中村誠 P:横須賀巧光 C:内田今朝雄
資生堂調と呼ばれ、唐草とアールデコを基調としたスタイルが完成に向うと同時に、その枠を破ろうとする動きが生じます。従来の資生堂調の殻を壊す新しいスタイルのデザインは、歳若いアートディレクターやデザイナーによって生み出されました。いわば「反資生堂スタイル」のダイナミックな表現を担ったのは、中村誠、水野卓史、仲條正義、石岡瑛子、村瀬秀明、松永真、太田和彦ら。「反資生堂スタイル」といってもそれは伝統への反逆ではなく、資生堂の伝統的なデザインをより幅広く、強くするための改革でした。
昭和40〜51年 AD:水野卓史 D:久保曩介、海野隆志 P:横須賀巧光 C:天谷行雄 ほか
昭和45年 AD:中村誠 D:村瀬秀明 P:横須賀巧光 C:犬山達四郎
(左)昭和42年 AD:中村誠 D:細越麟太郎 P:津吹純一
(中)昭和41年 AD、D:中村誠 P:横須賀巧光
(右)昭和40年 AD:中村誠 D:村瀬秀明 P:横須賀巧光
(左)昭和42年 AD:水野卓史 D:久保曩介 P:安達洋次郎 C:細川拓一郎
(右)昭和40年 AD:金子秀之 D:税所篤俊 P:小川隆之 C:細川拓一郎
さらに、横須賀巧光、繰上和美、十文字美信など写真家たちの存在も忘れてはなりません。新たな広告表現に挑戦したアートディレクターやデザイナー、写真家、コピーライターたちと、彼らによる変革を受け入れた上層部。すぐれた才能を統合した結果、質の良い仕事が生まれ、資生堂の広告は成功したのです。
資生堂宣伝史 全三冊揃
- 出版社
- 資生堂
- 発行年
- 1979年
資生堂・宣伝の歴史を編纂。歴史、現代、花椿抄に分類された三冊セットで、CI、パッケージデザイン、CM、広告デザインなどとともに1979年当時までの膨大な資生堂宣伝史を掲載。
資生堂の広告の歩みを編纂。これまでに発表された広告ポスターやパッケージデザインをカラーで収録した「総合篇」/世間を魅了するアートで資生堂の広告を彩ったアーティスト、「セルジュ・ルタンス篇」の2冊セット。
創業から一貫して美意識を追求してきた資生堂の文化的な遺伝子を「ミーム」と定義し、パッケージデザインやポスター、広告の変遷を辿りながら、「美」と「知」に関わる資生堂のミームを記録する。
太田和彦 | 異端の資生堂広告
1970年代、資生堂のデザイン変革期においてもっとも尖った広告表現を試みたのは、デザイナー・太田和彦なのではないでしょうか。本書は氏の手がけた1970〜1980年代当時の雑誌広告作品を編纂した作品集です。
写真家・十文字美信とタッグを組んだ資生堂シフォネットシリーズ。「資生堂のデザイナーは女を描けなければならない」という命題を、自分なりに表現しようとした太田氏。生々しい存在感をもつ写真は、ドイツの写真家オーガスト・ザンダーの作品からヒントを得たそう。
「資生堂の香り」シリーズ。撮影は富永民生。扉で紹介したブランドの香りを、中見開きページでは商品を掲載せず「匂うような」表現に挑戦した異色すぎる広告。
「資生堂の香り」シリーズ続編。オブジェ化された人物、抽象的なデザイン、商品は画面に取り入れられたものの、認知できる極限の小ささ(前後のページで商品はしっかりと紹介しています)に。このようなアートディレクターと写真家による即興演奏のように冒険的で、かつ計算されつくした画面構成にとても憧れます。
コンピュータによるグラフィック制作が容易になった今日では、あらかじめ制作したラフ案を何案もクライアントに見せ、あるいは数社がプレゼンで競い、デザインも写真も決められた絵コンテから逸脱することは難しくなってしまいました。だけどいつかきっと!という野心をもつ若いデザイナーさんは、本書を手元に置いてみてはいかがでしょうか。
写真家・十文字美信とタッグを組んだ資生堂シフォネットシリーズ。「資生堂のデザイナーは女を描けなければならない」という命題を、自分なりに表現しようとした太田氏。生々しい存在感をもつ写真は、ドイツの写真家オーガスト・ザンダーの作品からヒントを得たそう。
「資生堂の香り」シリーズ。撮影は富永民生。扉で紹介したブランドの香りを、中見開きページでは商品を掲載せず「匂うような」表現に挑戦した異色すぎる広告。
「資生堂の香り」シリーズ続編。オブジェ化された人物、抽象的なデザイン、商品は画面に取り入れられたものの、認知できる極限の小ささ(前後のページで商品はしっかりと紹介しています)に。このようなアートディレクターと写真家による即興演奏のように冒険的で、かつ計算されつくした画面構成にとても憧れます。
異端の資生堂広告
- 著者
- 太田和彦
- 出版社
- 求龍堂
- 発行年
- 2004年
資生堂で異色の広告デザインを手掛けてきたグラフィックデザイナー/太田和彦。数々の写真家と組み、「資生堂シフォネット」で広告界に衝撃を与えた太田和彦による雑誌広告作品を、原寸に近いサイズで完全復刻。