ヘルベルト・バイヤーがバウハウスのある地・ワイマールへ赴いたきっかけは一冊の本でした。19歳から2つのデザイン事務所で勤務していた氏は、カンディンスキーの『抽象芸術論―芸術における精神的なもの』に感銘を受け、バウハウスへと入学。

デッサウへと移転したのちは、3年間教鞭もとり、バウハウス初のタイポグラフィーの教師となりました。

ちなみに、バウハウス・スタイルのフォント『ユニバーサル』を生み出したのもバイヤーですね。

モホリ=ナジに影響を受け写真をはじめてからは、モンタージュを得意とし数多くの作品を生み出します。構成的かつ、シュルレアリスムの感覚をもちあわせた作品の数々…かっこいい…。

写真家、グラフィックデザイナー、タイポグラファー、画家、彫刻家と、いくつもの顔をもっていた氏。さらにはヴォーグのアート・ディレクターにも抜擢され、ニューヨークへと渡ってからは建築、環境芸術の分野にも力を入れました。
多くの人が一生をかけても成し遂げられないような偉業を、いくつも成し遂げたヘルベルト・バイヤー。そのひとつひとつの仕事を、本書の分厚い項をめくりながら辿ってみてください。