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宮脇綾子のあぷりけ。くらしの中に見つけた小さな発見と悦び
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宮脇綾子のあぷりけ。くらしの中に見つけた小さな発見と悦び

こんにちは!なつきです。

「この人のように生きてみたい」最近そう思った人物がいます。その方の名前は、宮脇綾子。

当時まだ珍しかったあぷりけ(あっぷりけ)。その手法を芸術の域に高めるに至った感性豊かな作品群にはもちろん感動しましたが、なによりそれらが生み出された背景にある、氏の生き方とことばに強く心を打たれたのです。

本日は美しい作品の数々を、氏のことばとともにご紹介したいと思います。



身近なものをモチーフに。古裂から生み出すあぷりけ作品


実は宮脇綾子が作品制作をはじめたのは、40歳を迎えたころ。戦争によって苦しい生活を強いられるなか、かつて機織りをしていた姑が大事に取っていた端切れにときめきを覚えました。

私はよい女房になりたいし、よいママにもなりたいが、家の雑用に追われながら、良妻賢母で朽ちて行くのがたまらない気がしていた。家の中で出来ることでと思っている内に、ボロの中に捨て難いものが沢山あるのを私は発見した。

今の生活を大切にしながらも、自分にもできる何かを見つけたい。1940年代にそんな想いを抱いていた宮脇氏と、家庭と仕事の両立に悩む現代の女性。わたしには、違いなどないように感じます。

宮脇氏のあぷりけは、古裂をいかし、花や野菜、魚といった身近なものがテーマとなっています。日常の片隅で見過ごされてしまいがちなもの、本来であれば捨てられていたであろう使い古された布、それぞれに新たな命を吹き込むのです。

椿 | 1945年
最初の作品は、1945年制作の「椿」。ほかの花が寒さに負けて枯れてしまったなか、凛と咲く姿に惹かれたそう。この頃は花びらや葉に模様のない布が用いられており、布の「色」を活かした作品に仕上がっています。

鷹 | 1950年


鴨(背) | 1953年
以降の作品では色に加え、布の模様もぐっと多彩に。まるで絵画のような構図も見受けられ、夫である画家・宮脇晴氏からの影響も垣間見ることができます。

枯れた花 | 1955年


足のとれた蟹 | 1963年
枯れて萎れた花にも、足の取れた蟹にも、宮脇氏は美しさを見出します。宮脇氏にとって美しさとは、完璧で完全なものにではなく、時間の移ろいの中に自然と宿るものなのでしょう。
少しキズがついただけの果物やお菓子が市場に出てこない今の日本。わたしたちはそれを当たり前だと思ってはいないでしょうか。

切った玉ねぎ | 1965年


ひなげし | 1969年
台所の脇役も、道端の花も、宮脇氏の手にかかれば主役になれる。

鶴亀模様の鯛 | 1979年
めで“鯛”から、鶴と亀の模様の布を使って。遊び心たっぷり。

菊花模様藍型染綴り合せ壁掛 | 1973年
なかには布をいくつも張り合わせた壁掛け作品も。これまでのモチーフではなく、布こそが主役になった作品です。まさに布が織りなす宇宙。

パッチワークきもの
そしてついには、パッチワークで着物という大作もつくりあげます。

これまでの作品では、布の模様を活かして様々なモチーフを生み出していた宮脇氏。

ところが布をいじっているうちに、これを染めた人これを織った人、これを着た人の心が届いてきて、はさみをいれることができなくなってきた。こうして、私は、はさみをいれないで、そのまま使える着物に仕立てることを思いついたのだ。日本のきものは直線裁ちであるから。

宮脇氏の作品は、モチーフを生み出すための”道具”として布を使っているのではないのです。布自身への敬意と、優しさに満ちた人柄が、そのままかたちになったよう。

図録や作品集を読んでいると、家族や関係者による寄稿文には「思いやりにあふれた人」「あたたかな人」「憧れ」といった、慈愛に満ちた言葉ばかりが並んでいるんです。人や自然を愛し、そして周囲からも愛された宮脇綾子氏。
作品を眺めていると、そんな氏のすがたそのものを見ているような気がしてきます。

ハレの日もケの日も。日記にしたためられた、幸せな記録。

あぷりけに加え、氏が手掛けたもうひとつの作品と呼ぶべきものがあります。それが、1944年から毎日つけられた「日記」。

色絵日記 | 4月6日(土)晴
スケッチや小さな作品が貼り付けられた色絵日記には、何気なくも微笑ましい日々の記録が綴られています。その日つくったご飯のこと、遊びにきた孫が無条件に可愛いこと、一緒に観たテレビのこと...。根っからのおばあちゃん子だった私、これを読むと泣けてきてしまうのです。。。

色絵日記 | 月見草の花が咲くまで(1時間と40分)

半開きの形の美しいこと。あッ…あッ…という間の瞬間の美は、頭のなかに。

そういえば宮脇氏のあぷりけ作品には、「あ」という一文字が縫い取られているんですよ。それには綾子(あやこ)の「あ」という意味と、「あっ!」と驚いたときの感動をひそかにこめているのだとか。

折りたたみ式の和紙の画帖に綴られた「はりえ日記」は、制作に時間がかかるため毎日つけられたものではありませんが、その総数は39冊にものぼります。

はりえ日記 | 1985年7月14日
何を作っても あなたえ(へ)の思いの込めたものばかりです
「こんなものができましたよ」と あなたに見せたいです

最愛の夫、晴氏が亡くなった後に綴られたもの。晴氏を心から愛していたのですね。あぷりけ作品や日記には、夫を想い、夫婦として過ごす時間の尊さに溢れています。

はりえ日記 | 1979年1月3日
いただきもののおせち料理。細かな写生の横には小さな字で、”車ではなく新幹線で来たので持ってくるのに大変だっただろう。”という気遣いのことばが。どこまでも優しい。

はりえ日記 | 1973年8月27日
犬の散歩道に咲く、ちいさな露草。

私たちはものを見るとき 美しいとかきれいだとか 何げないに見て居るのだと何時も思う
ものをよく見ることの 大切さをしみじみ思う

ハレの日もケの日も、華やかなものも素朴なものも、氏の目に映る美しさは、いつだって平等なのです。

最後に、宮脇綾子氏のあぷりけ作品と日記をあわせて見てみたいという方は、こちらの図録をどうぞ。それぞれのあぷりけ作品を手がけた際のエピソードや、日記も文字起こしをし直し読みやすく掲載されています。

アプリケ芸術50年 宮脇綾子遺作展

編集
朝日新聞社
出版社
朝日新聞社
発行年
1997年
「アプリケ芸術50年 宮脇綾子遺作展」の図録。アップリケ作家の宮脇綾子による、型染めの精神を息づかせたアップリケ作品をカラーで多数収録
宮脇綾子の作品からは、アーティストとしての作品づくりというより、むしろ生活の知恵に近いものを感じます。それは何気ない日々をおもしろがり、マイナスなことをプラスに変え、身近なものを愛情で包み育む術(すべ)。
「こんな素晴らしい作品はなかなかつくれないな」と思いながらも、感性を形にする自分なりの方法をいつか見つけたいと思います。美しいものを探すのに、じっと目を凝らす必要は、きっとないはずですから。

それでは、また。

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ノストスブックス店長。前職では某テーマパークのお姉さんや、不動産会社の営業をしていました。小説とクラシックなものが好き。一緒に、好きだと思えるものを沢山見つけましょう。