GWも後半ですね。みなさまどこか遊びに行かれていますか?家でのんびりしていますか?それともお仕事?石井は元気にフル出勤です。仕事は楽しいのでなんにも問題はございません。でも、もし、もしもですよ?3連休が2回連続で手に入っちゃったとしたら。前半はどこかに外出するとして、後半は全身全霊をかけてダラけたい。ふとんの中でひたすら漫画を読んで、スマホも見ずに、一歩も外に出ずに1日を終えたい。動かざること山のごとく。
というささやかな夢をあたまの中で膨らませていたところ、妄想が止まらなくなったので、本日は漫画にまつわる書籍をセレクトしてみました。1960年代から様々な異才を発掘し輩出してきた、伝説の漫画雑誌「ガロ」を中心におおくりします。
木造モルタルの王国 ガロ20年史
「月刊漫画ガロ」は1964年に生まれ、2001年に休刊するまでのあいだ、日本のサブカルチャーを牽引したオルタナティブ・コミック誌。まるで百科事典のようにぶ厚い本書は、常に独創的な新人を発掘し続けたガロの20年を振り返るアーカイブです。白土三平、水木しげる、つげ義春、花輪和一、佐々木マキ、赤瀬川原平など、総勢80名を超える作家陣の短編漫画を掲載。表題は糸井重里、装丁は羽良多平吉が手がけています。
それでは、本書に掲載されているなかから「ガロ」でデビューした作家を中心に、その作品と関連書籍とひも付けながらご紹介したいと思います。
佐々木マキ「ぼくのデブインコちゃん」より。
いまでは村上春樹の著作の表紙画や、絵本作品で知られる佐々木氏。デビューは1966年の「ガロ」でした。夢見心地で先の読めない、超現実的で実験的な作風が光っています。
赤瀬川原平「おざ式」より。
タイトルから察することができるように、原稿がまったく進んでいないのに掲載予告を打たれてしまった著者が、苦肉の策として描き上げた(風の)パロディが散りばめられた作品。こういった変化球というか、魔球的な作品が飛び交うのも「ガロ」ならでは。
1960年代には「ハイレッド・センター」などの前衛芸術活動をはじめ、1970年は「櫻画報」など独自の批評を盛り込んだイラスト作品を展開した赤瀬川原平。朝日ジャーナルで当時連載されていた「櫻画報」は持ち前のパロディ精神と風刺を効かせすぎた結果、回収・休刊事件に発展。「櫻画報」はのちに「ガロ」で復活を果たし、水を得た魚のように活き活きと社会をぶった斬り続けます。
赤瀬川氏の巻き起こした騒動は枚挙にいとまがありません。有名なのは「千円札裁判」ですね。発表した作品が通貨及証券模造取締法違反に問われ、多くの文化人・メディア・法廷を巻き込んだ裁判の経緯は「オブジェを持った無産者」にまとめられています。ご興味あるかたはぜひ。
糸井重里と湯村輝彦の共作漫画「ペンギンごはん」より。
表紙画を長く担当したこともあり、「ガロ」の顔として湯村氏の絵を記憶しているかたも多いのでは。ナンセンスとヘタウマブームの引き金となった名作です。バイオレンスでパンクなペンギン。憎さあまってかわいさ100倍。
ますむらひろし「再会」より。
宮沢賢治の童話や、ファンタジックで透明感のある絵柄のイメージが定着しているますむらひろしも、実は「ガロ」出身。初期の作品はよりダークな趣き。絵柄の可愛らしさと、ときどき陰鬱な空気をかもし出すストーリーの対比が好きです。
創刊当時は規定の作家数を埋めるために水木しげるが複数の名義で投稿したり、所在がわからなくなってしまったつげ義春に「連絡乞う」と誌面で呼びかけたりと、エピソードにはことかかない「ガロ」。
そんな「ガロ」の歴史は経営難との戦いでもあります。販売部数が落ち込み原稿料が払えなくなっても作品を発表し続ける作家たちと、根強いファンたちに支えられて「ガロ」は生き延び続けました。ここまで狭く、そして深く愛された漫画雑誌は他にないのでは。その理由を知りたいかたには、ガロが産み育てたガロリストたちによるコメント集「ガロ曼陀羅」がおすすめです。
それでは、本書に掲載されているなかから「ガロ」でデビューした作家を中心に、その作品と関連書籍とひも付けながらご紹介したいと思います。
佐々木マキ「ぼくのデブインコちゃん」より。
いまでは村上春樹の著作の表紙画や、絵本作品で知られる佐々木氏。デビューは1966年の「ガロ」でした。夢見心地で先の読めない、超現実的で実験的な作風が光っています。
赤瀬川原平「おざ式」より。
タイトルから察することができるように、原稿がまったく進んでいないのに掲載予告を打たれてしまった著者が、苦肉の策として描き上げた(風の)パロディが散りばめられた作品。こういった変化球というか、魔球的な作品が飛び交うのも「ガロ」ならでは。
1960年代には「ハイレッド・センター」などの前衛芸術活動をはじめ、1970年は「櫻画報」など独自の批評を盛り込んだイラスト作品を展開した赤瀬川原平。朝日ジャーナルで当時連載されていた「櫻画報」は持ち前のパロディ精神と風刺を効かせすぎた結果、回収・休刊事件に発展。「櫻画報」はのちに「ガロ」で復活を果たし、水を得た魚のように活き活きと社会をぶった斬り続けます。
1970年代に「朝日ジャーナル」や「ガロ」に掲載された赤瀬川原平の漫画「櫻画報」のアーカイヴ集。「アルバム櫻画報史」、「野次馬画報」、「略式櫻画報」などを掲載。
糸井重里と湯村輝彦の共作漫画「ペンギンごはん」より。
表紙画を長く担当したこともあり、「ガロ」の顔として湯村氏の絵を記憶しているかたも多いのでは。ナンセンスとヘタウマブームの引き金となった名作です。バイオレンスでパンクなペンギン。憎さあまってかわいさ100倍。
ますむらひろし「再会」より。
宮沢賢治の童話や、ファンタジックで透明感のある絵柄のイメージが定着しているますむらひろしも、実は「ガロ」出身。初期の作品はよりダークな趣き。絵柄の可愛らしさと、ときどき陰鬱な空気をかもし出すストーリーの対比が好きです。
漫画家、ますむらひろしの絵本。人と猫が言葉を交わす空想世界を舞台に、主人公である猫のヒデヨシの冒険を描く。
創刊当時は規定の作家数を埋めるために水木しげるが複数の名義で投稿したり、所在がわからなくなってしまったつげ義春に「連絡乞う」と誌面で呼びかけたりと、エピソードにはことかかない「ガロ」。
そんな「ガロ」の歴史は経営難との戦いでもあります。販売部数が落ち込み原稿料が払えなくなっても作品を発表し続ける作家たちと、根強いファンたちに支えられて「ガロ」は生き延び続けました。ここまで狭く、そして深く愛された漫画雑誌は他にないのでは。その理由を知りたいかたには、ガロが産み育てたガロリストたちによるコメント集「ガロ曼陀羅」がおすすめです。
ああ、漫画の海で溺れたい。