今回のインタビューでは全3回にわたり、辻さんが木工作家になった経緯や、制作や自分自身について、さらにはモビールや新作の作品についてなどをおうかがいします。
木の素材を見つめて、出来たものを受け入れるということ
ー木工を始めたのはいつですか?
木工にしようと最初は決めていなかったんですけど、美術のいろいろな分野のことを最初に経験できる大学だったので、陶芸やってみたり、金属加工をやってみたりもして。木の魅力と、日常使えるものをつくりたいという意識もあったので木工を選びました。
ー卒業後は家具の会社に入られたんですよね。
そうですね。卒業してからは、社会の中でたくさんつくっていくことを学んでみたかったし、生活の中で使えるものをつくってみたいっていう気持ちもあったりして、家具制作の会社に就職しました。椅子とか大きな本棚とかテーブルとかの制作の仕事を三年間していました。
ー独立しようかなって思ったのはいつだったのでしょう。
(就職しても)自分の制作も諦められなくて。仕事が休みの日も作品の制作をしては、コンペに出したり。
働きはじめて二年半くらい経ったときに転機がきて、今までやりたかったことをやってみようかなと思って25歳で独立しました。
独立してからは暮らしの中にあるものを、器を中心にやっていきたいということは考えていて。でも器だけに絞らないと決めていたというか、ほかのものをつくることも自然だったので、特にカテゴライズはしていなかったという感じです。
ーモビールはどういう経緯でつくりはじめたのですか?
CONTEXT-S 札幌で「朝に起きる。」という展示をやった時に、はじめて空間をつくるって体験をして。それまでにも興味があったモビールをつくってみようとやってみたのが最初ですね。
原理がわかってなかったから、最初はめちゃくちゃ苦労しました。こうつくりたいのにできないみたいな。
ー今は自分の中のルールみたいなものがあるんですか。つくり方というか。
モビールの面白いところが、「こんな感じにしたい」って抽象画をかくみたいにメモ程度にスケッチする時もあるんですけど、実際に繋いでみると全然違うようになったりするんですよね。
意図してやってみようって思ったけど、最後は自分を良い意味で裏切られるみたいな。
そういう作為と無作為の間みたいなところが、モビールはすごく面白くて。
今はそれが全体を通して面白いって思えることになっています。
木もこういう風にしたい、と思えば思うほどそうならなかったりするんです。途中で節がでてきたり、割れちゃったり、曲がっちゃったり。昔はそれをボツにしていたんですけど、受け入れてみるとそれさえも面白いんじゃないかなって思ったんですよね。
自分自身も必要以上に考えすぎたり反省したりするところがすごいあるので、ある意味で自分を根本的に受け入れてなかったことがあって。27〜8歳くらいの時ですかね。ものづくりは好きだけど、いろいろ見聞きしてきたいろいろなことが自分の中に落とし込めなくなって、なにをつくっていったらいいのか分からなくなった時期があったんですよね。
その時に展示をさせてもらった札幌の「BLAKISTON」の方から面白い木の素材をいただいて、これでなにかつくってよ、みたいなお題をもらって。お返しした時に、「こういうのすごくいい」って言ってくださって。
自分も個性的な素材に興味があったけど、プロダクトが好きだったし、使いやすいものをつくりたい思いとか、自分がこれまでやってきたことをどう通そうというのがあったんですね。
本当は好きだからやりたいのにって思っていた時に、その言葉に背中を押してもらって、霧が晴れたかのような気持ちになりました。
素材を見つめて出来たものを受け入れるということは面白いなあ、それでもいいじゃんって、自分にも言えたような気がして。
そこから変わったなっていうのはすごくあります。
ここ数年、自分が気持ちよく制作できるようになってから魅力的な素材に出会えるようになってきたような気がします。
今も屋久杉の仕事をちょっとだけやらせてもらっています。屋久杉でブローチとかお香立てとか、アクセサリーやモビールをつくっているんですけど。屋久杉自体が貴重で神々しい木だから、一生かけても扱えないかなと思っていました。
東京香堂の千夏子さんがつないでくださったので、そこからのご縁だったりもするんですよね。
作り手インタビュー:木工作家・辻有希(2)に続きます。
木工にしようと最初は決めていなかったんですけど、美術のいろいろな分野のことを最初に経験できる大学だったので、陶芸やってみたり、金属加工をやってみたりもして。木の魅力と、日常使えるものをつくりたいという意識もあったので木工を選びました。
ー卒業後は家具の会社に入られたんですよね。
そうですね。卒業してからは、社会の中でたくさんつくっていくことを学んでみたかったし、生活の中で使えるものをつくってみたいっていう気持ちもあったりして、家具制作の会社に就職しました。椅子とか大きな本棚とかテーブルとかの制作の仕事を三年間していました。
ー独立しようかなって思ったのはいつだったのでしょう。
(就職しても)自分の制作も諦められなくて。仕事が休みの日も作品の制作をしては、コンペに出したり。
働きはじめて二年半くらい経ったときに転機がきて、今までやりたかったことをやってみようかなと思って25歳で独立しました。
独立してからは暮らしの中にあるものを、器を中心にやっていきたいということは考えていて。でも器だけに絞らないと決めていたというか、ほかのものをつくることも自然だったので、特にカテゴライズはしていなかったという感じです。
ーモビールはどういう経緯でつくりはじめたのですか?
CONTEXT-S 札幌で「朝に起きる。」という展示をやった時に、はじめて空間をつくるって体験をして。それまでにも興味があったモビールをつくってみようとやってみたのが最初ですね。
原理がわかってなかったから、最初はめちゃくちゃ苦労しました。こうつくりたいのにできないみたいな。
ー今は自分の中のルールみたいなものがあるんですか。つくり方というか。
モビールの面白いところが、「こんな感じにしたい」って抽象画をかくみたいにメモ程度にスケッチする時もあるんですけど、実際に繋いでみると全然違うようになったりするんですよね。
意図してやってみようって思ったけど、最後は自分を良い意味で裏切られるみたいな。
そういう作為と無作為の間みたいなところが、モビールはすごく面白くて。
今はそれが全体を通して面白いって思えることになっています。
木もこういう風にしたい、と思えば思うほどそうならなかったりするんです。途中で節がでてきたり、割れちゃったり、曲がっちゃったり。昔はそれをボツにしていたんですけど、受け入れてみるとそれさえも面白いんじゃないかなって思ったんですよね。
自分自身も必要以上に考えすぎたり反省したりするところがすごいあるので、ある意味で自分を根本的に受け入れてなかったことがあって。27〜8歳くらいの時ですかね。ものづくりは好きだけど、いろいろ見聞きしてきたいろいろなことが自分の中に落とし込めなくなって、なにをつくっていったらいいのか分からなくなった時期があったんですよね。
その時に展示をさせてもらった札幌の「BLAKISTON」の方から面白い木の素材をいただいて、これでなにかつくってよ、みたいなお題をもらって。お返しした時に、「こういうのすごくいい」って言ってくださって。
自分も個性的な素材に興味があったけど、プロダクトが好きだったし、使いやすいものをつくりたい思いとか、自分がこれまでやってきたことをどう通そうというのがあったんですね。
本当は好きだからやりたいのにって思っていた時に、その言葉に背中を押してもらって、霧が晴れたかのような気持ちになりました。
素材を見つめて出来たものを受け入れるということは面白いなあ、それでもいいじゃんって、自分にも言えたような気がして。
そこから変わったなっていうのはすごくあります。
ここ数年、自分が気持ちよく制作できるようになってから魅力的な素材に出会えるようになってきたような気がします。
今も屋久杉の仕事をちょっとだけやらせてもらっています。屋久杉でブローチとかお香立てとか、アクセサリーやモビールをつくっているんですけど。屋久杉自体が貴重で神々しい木だから、一生かけても扱えないかなと思っていました。
東京香堂の千夏子さんがつないでくださったので、そこからのご縁だったりもするんですよね。
作り手インタビュー:木工作家・辻有希(2)に続きます。