お知らせ「宮沢賢治作・塩川いづみ絵『春と修羅』発売記念原画展&トークショー」
塩川さんだけでなく、ますむらひろし、和田誠、司修などの作家が挿絵を手がけ、研究評論も出版されるなど、時代を超えて生まれ変わり、読みつがれて来た賢治作品。多くの人々に愛される賢治の魅力、そして塩川さんが賢治に感じた想いとは。対談相手に作家の小林エリカさんを迎えて行われたトークショーのもようをお届けします。
もう、ドンと渡して「あとはお願いします!」みたいな。
山田:ノストスブックスの山田と申します。みなさま今日は寒い中、お集まりいただきましてありがとうございます。そして狭い店内で申し訳ありませんが、1時間半どうぞお付き合いください。今回は、宮沢賢治の詩のような、日記のような「春と修羅」という作品がありまして、そちらにイラストレーターの塩川いづみさんが挿絵をつけた詩画集の『春と修羅』が2018年の10月末に発売されました。その発売を記念して原画展と本日のトークショーをさせていただけることになりました。塩川さんと、ご友人で作家の小林エリカさんです。それではよろしくお願いいたします。
塩川:この本は、ソウルのアートブックフェアに出展することになって、トーチプレスさんと一緒に作ったんです。題材を宮沢賢治に決めて、どの作品にしようかとなったとき、私も網野さん(トーチプレス主宰)も「春と修羅」が好きだったので、ちょっと挑戦ですがやってみようと。「春と修羅」の全文は長いんですが、「序」の部分に私が絵を添えて、一冊まとめることになりました。
小林:びっくりしたのが、一つ一つの言葉に対していづみちゃんが絵を描いたんだと思っていたら、全部まとめて渡して、デザインの段階で組み直したんだって聞いて。そのへんを詳しく聞かせてもらえますか?
塩川:そうなんです。「春と修羅」を読み返すと、賢治の “心象スケッチ” がいろんなパターンで浮かぶので、どこにどの絵を当てはめるかは私の中でそれほど決まっていなくて。一部は指定しましたが、それ以外は割と全編に通じるようなカットをたくさん描いたので、その中から選んで配置してもらいました。デザインをしてもらったのは、ここにいるティルマンです。彼はドイツ人で母国語が違うこともあって、その解釈も含めて投げてみました。
ティルマン:普段本を作るときはだいたい編集が決まっているか、作家さんと一緒に編集のことを話しながら作り上げることが多いんですけど、今回はいきなり、しかもまったく時間のない中で、「どうにかしてほしい」と絵が送られてきて(笑)。
塩川:そう、制作時間がね(笑)。
ティルマン:僕もいづみちゃんもいつも移動中で、お互い毎回違う場所から連絡し合って作りました。あまり考えすぎずに、直感的に字と絵とを組み合わせていきましたね。
塩川:ティルマンとは長い付き合いだったので、もう、ドンと渡して「あとはお願いします!」みたいな(笑)。手描きで賢治の言葉を書いたのも、彼のアイデアだったんです。私の字で書くと、私の言葉とリズムで朗読しているみたいだと言ってくれる人もいました。
小林:詩って、大体が短いから一気に読んじゃうことが多いんだけど、一行だけ読んだり、途中に絵だけのページを挟んだりとペースが生まれているのがすごく新鮮でいいなと思いました。それと、「春と修羅」が英文表記で「Spring&Asura」と書いてあるのを見て、「ああ、『修羅』は『阿修羅』のことだったんだ!」って。さらっと今まで読み飛ばしていたから、自分の中でも発見がありましたね。
塩川:それは私もびっくり。出来上がった英訳を読んでみると、日本語とはまた別の解釈が生まれて「ああ、そういうことだったんだ」って。だから英訳が入っていて面白いなと思いました。
小林:原画は大きさがバラバラで、しかもスケッチブックに描いているんですね。
塩川:一枚絵として描いたものもありますが、そもそもプリントする挿絵としての原画なので、スケッチブックにたくさん描きました。今回ちょっと絵を修正している部分が分かるのも原画展ならではかなと思って。鉛筆で描くことも最初に決めていて、それでティルマンが印刷にしたときに鉛筆の質感が残るように、メタリックインクにしたんですよね。
ティルマン:しかもシルバーじゃなくて、メタリックブルー。自然光で見ると、少し青く見えます。
塩川:この本は、ソウルのアートブックフェアに出展することになって、トーチプレスさんと一緒に作ったんです。題材を宮沢賢治に決めて、どの作品にしようかとなったとき、私も網野さん(トーチプレス主宰)も「春と修羅」が好きだったので、ちょっと挑戦ですがやってみようと。「春と修羅」の全文は長いんですが、「序」の部分に私が絵を添えて、一冊まとめることになりました。
小林:びっくりしたのが、一つ一つの言葉に対していづみちゃんが絵を描いたんだと思っていたら、全部まとめて渡して、デザインの段階で組み直したんだって聞いて。そのへんを詳しく聞かせてもらえますか?
塩川:そうなんです。「春と修羅」を読み返すと、賢治の “心象スケッチ” がいろんなパターンで浮かぶので、どこにどの絵を当てはめるかは私の中でそれほど決まっていなくて。一部は指定しましたが、それ以外は割と全編に通じるようなカットをたくさん描いたので、その中から選んで配置してもらいました。デザインをしてもらったのは、ここにいるティルマンです。彼はドイツ人で母国語が違うこともあって、その解釈も含めて投げてみました。
ティルマン:普段本を作るときはだいたい編集が決まっているか、作家さんと一緒に編集のことを話しながら作り上げることが多いんですけど、今回はいきなり、しかもまったく時間のない中で、「どうにかしてほしい」と絵が送られてきて(笑)。
塩川:そう、制作時間がね(笑)。
ティルマン:僕もいづみちゃんもいつも移動中で、お互い毎回違う場所から連絡し合って作りました。あまり考えすぎずに、直感的に字と絵とを組み合わせていきましたね。
塩川:ティルマンとは長い付き合いだったので、もう、ドンと渡して「あとはお願いします!」みたいな(笑)。手描きで賢治の言葉を書いたのも、彼のアイデアだったんです。私の字で書くと、私の言葉とリズムで朗読しているみたいだと言ってくれる人もいました。
小林:詩って、大体が短いから一気に読んじゃうことが多いんだけど、一行だけ読んだり、途中に絵だけのページを挟んだりとペースが生まれているのがすごく新鮮でいいなと思いました。それと、「春と修羅」が英文表記で「Spring&Asura」と書いてあるのを見て、「ああ、『修羅』は『阿修羅』のことだったんだ!」って。さらっと今まで読み飛ばしていたから、自分の中でも発見がありましたね。
塩川:それは私もびっくり。出来上がった英訳を読んでみると、日本語とはまた別の解釈が生まれて「ああ、そういうことだったんだ」って。だから英訳が入っていて面白いなと思いました。
小林:原画は大きさがバラバラで、しかもスケッチブックに描いているんですね。
塩川:一枚絵として描いたものもありますが、そもそもプリントする挿絵としての原画なので、スケッチブックにたくさん描きました。今回ちょっと絵を修正している部分が分かるのも原画展ならではかなと思って。鉛筆で描くことも最初に決めていて、それでティルマンが印刷にしたときに鉛筆の質感が残るように、メタリックインクにしたんですよね。
ティルマン:しかもシルバーじゃなくて、メタリックブルー。自然光で見ると、少し青く見えます。
「宮沢賢治を食べ」ってすごいなって思ったんですよね。
塩川:エリカちゃんは最近、『アンネのこと、すべて』を翻訳していたけど、その話を聞いてみたいと思っていたんです。「春と修羅」は賢治が妹のトシを亡くしたときに書いた心象スケッチで、詩みたいな日記みたいなものだから、アンネの日記にも通じる部分があるんじゃないかって。
小林:アンネが日記の中で「書くことによって、新たにすべてを把握しなおすことができるからです」と書いていたんですが、賢治も自分の心の中や世界を把握し直すために、「春と修羅」の中で言葉を探している過程なのかなと思った瞬間、すごく腑に落ちました。アンネも日記で心のうちを明かしているんですけど、“キティー”という架空の存在に向けて日記を書くことで、一段階フィクション性を持たせている。そうやって世界も自分の心も、書きながら捉えようとしてたのかなと思いました。
塩川:なるほど。エリカちゃんは『アンネのこと、すべて』の前に『親愛なるキティーたちへ』も書いているけど、そもそもアンネへの興味は何がきっかけだったんですか?
小林:私、10歳のときにアンネの日記に出会って、それからアンネのように作家かジャーナリストになりたいって思っていたの。そうして大人になって、たまたま私、父が10代のときに記していた戦中・戦後の日記を見つけたんです。そのとき、アンネと父が同じ年の生まれだってことに気がついて。父とアンネの日記を一日一日読みながらアンネの辿った足取りを辿るように足袋をして、自分でも日記を書いたのが『親愛なるキティーたちへ』という本です。いづみちゃんはどうやって賢治に出会ったの?
塩川:母が幼稚園の先生をしていたからよく絵本を買う家で、賢治の絵本も多かったんです。母の名前は「たかよ」で、名前に親しみがあったのか「よだかの星」をよく読んでくれて(笑)。自分が意識的に読むようになったのはもっと後なんですけど。
小林:今いづみちゃんが持っている『宮沢賢治の童話大全』は、私も子どもの頃に一番大事にしていた本で、よく読んでいました。
塩川:流石に全部の絵本は持って来られないので、持っている中で一番まとまっているものを実家から持ってきました。この本は谷川(俊太郎)さんのお父さんが帯を書いているんですが、「俊太郎は、17、8歳の頃作った未発表の詩の中で、もっと小さい頃を思い出して、『毎日宮沢賢治を食べ』と歌っている」と。これを読んで、「宮沢賢治を食べ」ってすごいなって思ったんですよね。
「春と修羅」を知ったのはもっと後で、初めて読んだときは意味が分からなかった。今回改めて深く読みましたが、童話作品とはまた違って、自分が小さい頃に読んでいて分からなかったような悲しみや、いろいろなことが「春と修羅」はたくさん書かれています。妹の死という大きな悲しみに飲み込まれてしまう自分を対象化することで自分を持ち直していく。大人になるといろいろな別れがあるので、生きていくうえでそういう意識の切り替え方に助けられる部分があると思いました。話は変わりますが、ますむらひろしさんの『銀河鉄道の夜』、さっき買ったんですけど、エリカちゃんも買っていましたね。
小林:そう、私も買っちゃって(笑)。
塩川:買い占めちゃったね(笑)。でも、ますむらさんの作品は大人になってからまた宮沢賢治を読むきっかけになりました。
小林:あと、学校の教科書に「雨ニモマケズ」が載ってた。それを当時読んで、あんまり印象が良くなかったというか。
塩川:ははは(笑)。
小林:もっと大人になってからもう一回読んでみたら、これは自分がこういう人だって言っているわけじゃなくて、こうなりたいという切実な願いを込めて一生懸命書いているんだと分かって。きっと、こうなりたいとか、こうありたいとか、願い続けてやまない人だったんですよね。大人になるともういいかなって自分も諦めちゃうことが多いんですけど、成長したいと思い続けるって本当にすごいことだと思います。
塩川:なるほど。エリカちゃんは『アンネのこと、すべて』の前に『親愛なるキティーたちへ』も書いているけど、そもそもアンネへの興味は何がきっかけだったんですか?
小林:私、10歳のときにアンネの日記に出会って、それからアンネのように作家かジャーナリストになりたいって思っていたの。そうして大人になって、たまたま私、父が10代のときに記していた戦中・戦後の日記を見つけたんです。そのとき、アンネと父が同じ年の生まれだってことに気がついて。父とアンネの日記を一日一日読みながらアンネの辿った足取りを辿るように足袋をして、自分でも日記を書いたのが『親愛なるキティーたちへ』という本です。いづみちゃんはどうやって賢治に出会ったの?
塩川:母が幼稚園の先生をしていたからよく絵本を買う家で、賢治の絵本も多かったんです。母の名前は「たかよ」で、名前に親しみがあったのか「よだかの星」をよく読んでくれて(笑)。自分が意識的に読むようになったのはもっと後なんですけど。
小林:今いづみちゃんが持っている『宮沢賢治の童話大全』は、私も子どもの頃に一番大事にしていた本で、よく読んでいました。
塩川:流石に全部の絵本は持って来られないので、持っている中で一番まとまっているものを実家から持ってきました。この本は谷川(俊太郎)さんのお父さんが帯を書いているんですが、「俊太郎は、17、8歳の頃作った未発表の詩の中で、もっと小さい頃を思い出して、『毎日宮沢賢治を食べ』と歌っている」と。これを読んで、「宮沢賢治を食べ」ってすごいなって思ったんですよね。
「春と修羅」を知ったのはもっと後で、初めて読んだときは意味が分からなかった。今回改めて深く読みましたが、童話作品とはまた違って、自分が小さい頃に読んでいて分からなかったような悲しみや、いろいろなことが「春と修羅」はたくさん書かれています。妹の死という大きな悲しみに飲み込まれてしまう自分を対象化することで自分を持ち直していく。大人になるといろいろな別れがあるので、生きていくうえでそういう意識の切り替え方に助けられる部分があると思いました。話は変わりますが、ますむらひろしさんの『銀河鉄道の夜』、さっき買ったんですけど、エリカちゃんも買っていましたね。
小林:そう、私も買っちゃって(笑)。
塩川:買い占めちゃったね(笑)。でも、ますむらさんの作品は大人になってからまた宮沢賢治を読むきっかけになりました。
小林:あと、学校の教科書に「雨ニモマケズ」が載ってた。それを当時読んで、あんまり印象が良くなかったというか。
塩川:ははは(笑)。
小林:もっと大人になってからもう一回読んでみたら、これは自分がこういう人だって言っているわけじゃなくて、こうなりたいという切実な願いを込めて一生懸命書いているんだと分かって。きっと、こうなりたいとか、こうありたいとか、願い続けてやまない人だったんですよね。大人になるともういいかなって自分も諦めちゃうことが多いんですけど、成長したいと思い続けるって本当にすごいことだと思います。
自分が今いるところと宇宙は一直線に繋がっている。
塩川:エリカちゃんは、「春と修羅」のどんなところが好きですか?
小林:宮沢賢治のすごさって、鉱石を目の前にしたときに、何万年も前のことと何万年も未来のことが手の中の1点で繋がるような感覚を持っていることなんですよね。岩手の花巻にある宮沢賢治記念館に2回行ったことがあるんですけど、そこに展示されている賢治の描いた地図は「花巻」の次が「宇宙」になっていたんです。私が描くとしたら、花巻、日本、世界、地球、宇宙とかなんだけど、ああ、賢治の世界地図ってこういうことなんだなって。でもよくよく考えたら、実は自分が今いるところと宇宙は一直線に繋がっているでしょう? それを思い起こさせてくれたのがすごいなって。その感覚はとても素敵だし、自分も持ちたいと思います。
塩川:最近聞いた話で、人間は星のかけらだって科学的に証明されているらしくて、その話を聞いたときに、私の中ですべてがヒュッと繋がったんですよ。
小林:……え?(笑)
塩川:宮沢賢治みたいになっちゃった(笑)。
小林:人間が星のかけら……? どういうことですか?(笑)
塩川:人間の身体はもともと地球上になかったものからもできているらしくて、それは、星が爆発して、その欠片が地球に降らなければ存在し得ないものだったんですって。
『からだは星からできている』佐治晴夫、春秋社、2007年
小林:へえ、知らなかった!
塩川:このタイミングを図ったかのように友人から聞いたんです(笑)。「春と修羅」の中で「今存在していないものが、科学が発達することで存在していたと証明される」というようなことが書いてあるんですが、私も自分は星のかけらだったんだってことをこの歳になって知ったわけで、「春と修羅」は深いぞ、と。今日はこの話をしよう〜! と思っていました。
小林:(笑)
塩川:別にスピリチュアルな話ではなくて、宇宙と自分とはかけ離れていないし、宇宙が自分の内にあると考えてもおかしくないわけですよね。そうやって自分の気持ちを前向きにすることも、ありなのだと感じたんです。「春と修羅」はいろんな捉え方があると思いますが、節々でハッとすることがあって、呼ばれたようにこのタイミングで携われたから、ああ面白いなと思いました。今はSNSがあるから人と人との距離が難しい。近いようで遠くて孤独だったり。特に話さなくても相手のことが分かって窮屈にもなるんですけど、宮沢賢治のような開けた考え方があることで救われることが多くて。この感覚が、今の自分にとって大事です。
「人は死んだらどうして星になるのか」という質問から、人は実は星のかけらだったという話を聞いたんですけど、その循環というか、すべては私の中のあなたで、あなたの中の私みたいなことを、賢治も「春と修羅」の中で書いていて。すべての命が明滅しながら繋がっていて、自分はその一部だから、今私が認識しているすべてを自分と思うのがおこがましいと「春と修羅」を読んで思ったんですよね。
小林:うんうん。今、目の前の数分のことでいっぱいになりがちだけど、星ってもっと長い単位で生きたり死んだりしているし、自分の見ている星は何十年も前の光だったり、太陽でさえ何分も前の光を目にしているっていうことを、ハッと思い出させてくれるのが賢治の言葉。当たり前のはずなのに忙しくて忘れていことを、鉱石や賢治の作品を見て思い出します。そして、鉱石のお菓子が。
塩川:そうです。山フーズの小桧山さんがこの展示に合わせて作ってくださったお菓子が2種類あります。これは、琥珀糖の「第四次延長の中で」。挿絵をイメージして作ってくださいました。もう一つは「白堊紀砂岩の層面」という、化石のようなクッキー。挿絵は私が賢治の言葉からイメージしたものなので人によっては違うんだろうなと思うんですけど、小桧山さんはこの2つを作ってくれました。そういうコラボレーションも良いですよね。
小林:鉱石と地層なんだね。
塩川:そう、しかも食べてなくなっても、また自分の中に。食べるってそういうことですね。谷川さんも「毎日宮沢賢治を食べて」と書いていたけど、まさに賢治を食べる。食べている人はいっぱいいるだろうけど。
小林:宮沢賢治のすごさって、鉱石を目の前にしたときに、何万年も前のことと何万年も未来のことが手の中の1点で繋がるような感覚を持っていることなんですよね。岩手の花巻にある宮沢賢治記念館に2回行ったことがあるんですけど、そこに展示されている賢治の描いた地図は「花巻」の次が「宇宙」になっていたんです。私が描くとしたら、花巻、日本、世界、地球、宇宙とかなんだけど、ああ、賢治の世界地図ってこういうことなんだなって。でもよくよく考えたら、実は自分が今いるところと宇宙は一直線に繋がっているでしょう? それを思い起こさせてくれたのがすごいなって。その感覚はとても素敵だし、自分も持ちたいと思います。
塩川:最近聞いた話で、人間は星のかけらだって科学的に証明されているらしくて、その話を聞いたときに、私の中ですべてがヒュッと繋がったんですよ。
小林:……え?(笑)
塩川:宮沢賢治みたいになっちゃった(笑)。
小林:人間が星のかけら……? どういうことですか?(笑)
塩川:人間の身体はもともと地球上になかったものからもできているらしくて、それは、星が爆発して、その欠片が地球に降らなければ存在し得ないものだったんですって。
『からだは星からできている』佐治晴夫、春秋社、2007年
小林:へえ、知らなかった!
塩川:このタイミングを図ったかのように友人から聞いたんです(笑)。「春と修羅」の中で「今存在していないものが、科学が発達することで存在していたと証明される」というようなことが書いてあるんですが、私も自分は星のかけらだったんだってことをこの歳になって知ったわけで、「春と修羅」は深いぞ、と。今日はこの話をしよう〜! と思っていました。
小林:(笑)
塩川:別にスピリチュアルな話ではなくて、宇宙と自分とはかけ離れていないし、宇宙が自分の内にあると考えてもおかしくないわけですよね。そうやって自分の気持ちを前向きにすることも、ありなのだと感じたんです。「春と修羅」はいろんな捉え方があると思いますが、節々でハッとすることがあって、呼ばれたようにこのタイミングで携われたから、ああ面白いなと思いました。今はSNSがあるから人と人との距離が難しい。近いようで遠くて孤独だったり。特に話さなくても相手のことが分かって窮屈にもなるんですけど、宮沢賢治のような開けた考え方があることで救われることが多くて。この感覚が、今の自分にとって大事です。
「人は死んだらどうして星になるのか」という質問から、人は実は星のかけらだったという話を聞いたんですけど、その循環というか、すべては私の中のあなたで、あなたの中の私みたいなことを、賢治も「春と修羅」の中で書いていて。すべての命が明滅しながら繋がっていて、自分はその一部だから、今私が認識しているすべてを自分と思うのがおこがましいと「春と修羅」を読んで思ったんですよね。
小林:うんうん。今、目の前の数分のことでいっぱいになりがちだけど、星ってもっと長い単位で生きたり死んだりしているし、自分の見ている星は何十年も前の光だったり、太陽でさえ何分も前の光を目にしているっていうことを、ハッと思い出させてくれるのが賢治の言葉。当たり前のはずなのに忙しくて忘れていことを、鉱石や賢治の作品を見て思い出します。そして、鉱石のお菓子が。
塩川:そうです。山フーズの小桧山さんがこの展示に合わせて作ってくださったお菓子が2種類あります。これは、琥珀糖の「第四次延長の中で」。挿絵をイメージして作ってくださいました。もう一つは「白堊紀砂岩の層面」という、化石のようなクッキー。挿絵は私が賢治の言葉からイメージしたものなので人によっては違うんだろうなと思うんですけど、小桧山さんはこの2つを作ってくれました。そういうコラボレーションも良いですよね。
小林:鉱石と地層なんだね。
塩川:そう、しかも食べてなくなっても、また自分の中に。食べるってそういうことですね。谷川さんも「毎日宮沢賢治を食べて」と書いていたけど、まさに賢治を食べる。食べている人はいっぱいいるだろうけど。
岩手を「イーハトーヴォ」と呼んで生きていくことの強さ。
塩川:宮沢賢治はエスペラント語と関係があるとは知っていたんですが、詳しくはなくて。今日、エリカちゃんに聞きたいと思っていました。
小林:私もまだ練習中なんですけど、エスペラント語の『銀河鉄道の夜』を持って来ました。
塩川:おー! これって、ローマ字読みするんですか?
小林:そう。そのまま誰でも読めて、「ノクト・デラ・ギャラクシーア・フェルボーヨ」。「フェルボーヨ」は「旅」、「ノクト」は「夜」という意味ですね。岩手をエスペラント読みをすると「イーハトーヴォ」に近いかな? 「O」がつくとエスペラント語では名詞になるから、東京だと「TOKIO」とか。
塩川:「イーハトーヴォ」は岩手なのかあ。
※諸説あります
小林:岩手を「イーハトーヴォ」と呼んで生きていくことの強さみたいなものを感じますよね。苛酷なリアルを生きているけど、それともう一つ別の世界があると想像する。エスペラント語ができたのが1887年で、賢治が生まれたのが1896年。1905年には世界エスペラント大会が開催されて、日本では二葉亭四迷や新渡戸稲造たちが普及させようとしたから、賢治がエスペラント語を学びたいとか、作品に取り入れたいと思ったのも別に不思議ではなくて。しかも、1896年はヴィルヘルム・レントゲンがX線を発見した翌年でもあるんです。何か目に見えない光があって、骨が見えちゃうんだけど、その光の正体がまだ誰も分からない時代。そこから、じゃあこの光はなんなんだって調べ始めて、時を重ねていく数年間だった。そう思うと、賢治の作品の見方も自分のなかですごく発見があります。
塩川:言葉を作るってすごいですよね。見えないものを作る。物事は言葉で理解されるから、エスペラント語が生まれたときは世界をどう捉えるかをについてみんなで考えたときだったのかな。
小林:その時代背景が表れていそう。違う言語を喋っている人同士がどうしてもコミュニケーションを取らざるをえない。その中で一番中立的で、簡単に学べて、どこの国にも、どこの宗教にも属さないものが求められた時代だったのかなと思って。「理想主義」と呼んでしまうと簡単だけど、そういう気持ちを賢治も持っていたのかなと思います。
塩川:エスペラント語に限らず、賢治が使う言葉って、ちょっと面白いですよね。言葉って支配してくる感じがするから、それからちょっと逃れるような思いがあったのかなとか思ったり。
小林:どういうこと?
塩川:悲しいときに「悲しい」と言ったら、ストレートに「悲しい」になっちゃうけど、もっと含みのある言葉で表現すれば、その感情の余白も保てるというか。あまりにも整理された言葉にするとエッジが立つ。絵もそうですけど、あまりにも端的に描くと、すごいスピードで伝わってしまってあまりとどまらないというか。モヤモヤを残せないから、ちょっと脱線させたり、あえて描かなかったりということをしたいと思って描きます。
小林:へえ。
塩川:言葉はその言葉にした時点でそれに支配されやすくなってしまうから、私にとって言葉は難しいものなんです。逆に絵は全く違うものに見せることもできちゃうんですけど。賢治の何にも属さないような言葉って、私が弟の小さい子供に対して思っていた、まだ言葉にならない音を発している自由さみたいなものを感じて、なんだか良いなって。
小林:なるほど。じゃあ、そんな賢治の言葉に絵を付けるのはすごく挑戦だった?
塩川:そうです。
小林:またさらに解釈の余白を持った絵でないと、難しいと。
塩川:だからちょっと委ねちゃったんです。「この言葉に対してこの絵」と私が決めすぎちゃうと私自身も窮屈になる気がしたから、人の目を入れて自由に選んでもらうことで、もう少し風通しが良くなるというか。だから完成してみて「ああ、なるほど」と私も思うところがあって、面白かったですね。単語通りに描かなくていいかな、とは思って。直球でここにスンと入るよりも、ちょっとこっちでパリっとなってもいいかなと思って描いていました。
小林:私は比較的言葉が多いタイプだから、その感覚はすごく新鮮。
塩川:漫画は絵と文字の両方を使うじゃないですか。それだと私はバランスが取れないから、エリカちゃんはすごいなって思う。
小林:言い切るというか、ガッチリ決まるというか。
塩川:枠に入れるというか。
小林:私も余白の残し方をことを考えることが多くて。小説も漫画も、余白が多すぎるとストーリーがぼんやりするから、すごくバランスが難しい。やっぱり詩のほうが残せるなと思って。
塩川:うんうん。読む速さを委ねているというか。漫画の場合は次のコマに進む速さをコントロールしておかないと散漫になるというか、追えなくなっちゃうけど、賢治の詩は難解なのも含め、読み込む速さはそこまでコントロールされていない気がする。言葉に支配されているようでいて、すごく読みにくいから(笑)。書いてあることは読めるけど、分からないものが多いですね。
小林:というと?
塩川:日本語の単語としてはわかるんですけど、この組み合わせで言われると「はて? どういうことだろうな〜?」みたいな。そこに絵を描く余地があったんですけど。
小林:なるほど。
塩川:でも、あくまでこれは私のイメージだから。絵を描くイメージといっても、ここにこれを描く、というのも今回は任せちゃったので。幼くて言葉にならないような言葉を喋っているうちはいろんな音を出しているけど、言葉を知った瞬間に、この感情を、ここまでを、この言葉で、って集約されるじゃないですか、全部。それを賢治は担保している感じがあるんです。その感覚を大人になってから持っているのがすごくいいなと思って。自分もそこまではなくしてはいないと思いますが、賢治の作品を読むと、みずみずしかったり、いろんなことを含んでいただろう音とか、いろんなことを、人に伝えるためにすごくシャープにしていって、ずいぶん捨てちゃったなと思って。
小林:私もそういう点でエスペラント語を勉強しようと思った部分があるかも。違う言語になった瞬間に、日本語で切り捨てていた部分に気づくことがあるんです。言葉に慣れてくると、すごく当たり前に使っちゃうから。日々文章を書いていたりしても、一語一語について深く考える時間はあまり長く取れないし。それが、詩をもう一度ちゃんと読むことで、それこそ「『修羅』は『阿修羅』だった!」みたいな、小さい音の気付きがあったり。
塩川:言葉を使う機会が増えて、発信できるツールも増えたから、言葉は常々難しいなと思いますけど、エスペラントはそれを自由にやりたかったところから生まれたのかなあ。
小林:私もまだ練習中なんですけど、エスペラント語の『銀河鉄道の夜』を持って来ました。
塩川:おー! これって、ローマ字読みするんですか?
小林:そう。そのまま誰でも読めて、「ノクト・デラ・ギャラクシーア・フェルボーヨ」。「フェルボーヨ」は「旅」、「ノクト」は「夜」という意味ですね。岩手をエスペラント読みをすると「イーハトーヴォ」に近いかな? 「O」がつくとエスペラント語では名詞になるから、東京だと「TOKIO」とか。
塩川:「イーハトーヴォ」は岩手なのかあ。
※諸説あります
小林:岩手を「イーハトーヴォ」と呼んで生きていくことの強さみたいなものを感じますよね。苛酷なリアルを生きているけど、それともう一つ別の世界があると想像する。エスペラント語ができたのが1887年で、賢治が生まれたのが1896年。1905年には世界エスペラント大会が開催されて、日本では二葉亭四迷や新渡戸稲造たちが普及させようとしたから、賢治がエスペラント語を学びたいとか、作品に取り入れたいと思ったのも別に不思議ではなくて。しかも、1896年はヴィルヘルム・レントゲンがX線を発見した翌年でもあるんです。何か目に見えない光があって、骨が見えちゃうんだけど、その光の正体がまだ誰も分からない時代。そこから、じゃあこの光はなんなんだって調べ始めて、時を重ねていく数年間だった。そう思うと、賢治の作品の見方も自分のなかですごく発見があります。
塩川:言葉を作るってすごいですよね。見えないものを作る。物事は言葉で理解されるから、エスペラント語が生まれたときは世界をどう捉えるかをについてみんなで考えたときだったのかな。
小林:その時代背景が表れていそう。違う言語を喋っている人同士がどうしてもコミュニケーションを取らざるをえない。その中で一番中立的で、簡単に学べて、どこの国にも、どこの宗教にも属さないものが求められた時代だったのかなと思って。「理想主義」と呼んでしまうと簡単だけど、そういう気持ちを賢治も持っていたのかなと思います。
塩川:エスペラント語に限らず、賢治が使う言葉って、ちょっと面白いですよね。言葉って支配してくる感じがするから、それからちょっと逃れるような思いがあったのかなとか思ったり。
小林:どういうこと?
塩川:悲しいときに「悲しい」と言ったら、ストレートに「悲しい」になっちゃうけど、もっと含みのある言葉で表現すれば、その感情の余白も保てるというか。あまりにも整理された言葉にするとエッジが立つ。絵もそうですけど、あまりにも端的に描くと、すごいスピードで伝わってしまってあまりとどまらないというか。モヤモヤを残せないから、ちょっと脱線させたり、あえて描かなかったりということをしたいと思って描きます。
小林:へえ。
塩川:言葉はその言葉にした時点でそれに支配されやすくなってしまうから、私にとって言葉は難しいものなんです。逆に絵は全く違うものに見せることもできちゃうんですけど。賢治の何にも属さないような言葉って、私が弟の小さい子供に対して思っていた、まだ言葉にならない音を発している自由さみたいなものを感じて、なんだか良いなって。
小林:なるほど。じゃあ、そんな賢治の言葉に絵を付けるのはすごく挑戦だった?
塩川:そうです。
小林:またさらに解釈の余白を持った絵でないと、難しいと。
塩川:だからちょっと委ねちゃったんです。「この言葉に対してこの絵」と私が決めすぎちゃうと私自身も窮屈になる気がしたから、人の目を入れて自由に選んでもらうことで、もう少し風通しが良くなるというか。だから完成してみて「ああ、なるほど」と私も思うところがあって、面白かったですね。単語通りに描かなくていいかな、とは思って。直球でここにスンと入るよりも、ちょっとこっちでパリっとなってもいいかなと思って描いていました。
小林:私は比較的言葉が多いタイプだから、その感覚はすごく新鮮。
塩川:漫画は絵と文字の両方を使うじゃないですか。それだと私はバランスが取れないから、エリカちゃんはすごいなって思う。
小林:言い切るというか、ガッチリ決まるというか。
塩川:枠に入れるというか。
小林:私も余白の残し方をことを考えることが多くて。小説も漫画も、余白が多すぎるとストーリーがぼんやりするから、すごくバランスが難しい。やっぱり詩のほうが残せるなと思って。
塩川:うんうん。読む速さを委ねているというか。漫画の場合は次のコマに進む速さをコントロールしておかないと散漫になるというか、追えなくなっちゃうけど、賢治の詩は難解なのも含め、読み込む速さはそこまでコントロールされていない気がする。言葉に支配されているようでいて、すごく読みにくいから(笑)。書いてあることは読めるけど、分からないものが多いですね。
小林:というと?
塩川:日本語の単語としてはわかるんですけど、この組み合わせで言われると「はて? どういうことだろうな〜?」みたいな。そこに絵を描く余地があったんですけど。
小林:なるほど。
塩川:でも、あくまでこれは私のイメージだから。絵を描くイメージといっても、ここにこれを描く、というのも今回は任せちゃったので。幼くて言葉にならないような言葉を喋っているうちはいろんな音を出しているけど、言葉を知った瞬間に、この感情を、ここまでを、この言葉で、って集約されるじゃないですか、全部。それを賢治は担保している感じがあるんです。その感覚を大人になってから持っているのがすごくいいなと思って。自分もそこまではなくしてはいないと思いますが、賢治の作品を読むと、みずみずしかったり、いろんなことを含んでいただろう音とか、いろんなことを、人に伝えるためにすごくシャープにしていって、ずいぶん捨てちゃったなと思って。
小林:私もそういう点でエスペラント語を勉強しようと思った部分があるかも。違う言語になった瞬間に、日本語で切り捨てていた部分に気づくことがあるんです。言葉に慣れてくると、すごく当たり前に使っちゃうから。日々文章を書いていたりしても、一語一語について深く考える時間はあまり長く取れないし。それが、詩をもう一度ちゃんと読むことで、それこそ「『修羅』は『阿修羅』だった!」みたいな、小さい音の気付きがあったり。
塩川:言葉を使う機会が増えて、発信できるツールも増えたから、言葉は常々難しいなと思いますけど、エスペラントはそれを自由にやりたかったところから生まれたのかなあ。
塩川いづみの、イーハトーヴォ。
山田:ここで一段落して、皆さんから質問などありましたら伺いたいと思います。何かお二人にお聞きしたいことがある方はいらっしゃいますか?
お客さん:「猫」!(スライドの中で、本編で触れられていなかったトークテーマを指して)
塩川:確かに。なんで山田さんは「猫」を挙げたんですか?
山田:ますむらさんが猫で漫画を描いている理由も気になりましたし、何より、この表紙の動物を初めはふくろうだと思っていたんですけど、後からお聞きしたら猫だそうで。なぜこの猫が登場するに至ったのかを知りたかったんです。これはもしかしたらブックデザインのお話になってくるのかもしれないですが。
塩川:ますむらさんに影響されているというのが答えです(笑)。アニメで観た「銀河鉄道の夜」の登場人物が猫だったので。この絵に関していうと、猫の目に銀河が映っていて、目が惑星みたいな。「ここにも宇宙や銀河がある」みたいなイメージで描いたんです。ティルマンの飼っている猫の名前が「ギンガ」というので表紙にしました。
小林:それはぴったりですね(笑)。
塩川:「じゃあ表紙じゃん!(笑)」みたいな。
小林:目のなかに銀河があるんだね。
塩川:猫と賢治については詳しい方に聞きたいですね。
山田:「注文の多い料理店」とか、「猫の事務所」とか、お話にも猫がいっぱい出てくるので、どうも気になって。ありがとうございます、一つスッキリしました。
塩川:たしかに、猫のイメージはすごくありますけど、なんで犬じゃなかったんだろう。カエルもいっぱい出てくるけど。猫は、「銀河鉄道の夜」の影響が大きいですね。ちなみに、「春と修羅」の中に出てくる、「屈折率」という篇に “七つ森” って言葉が出てくるんですけど、高円寺に七ツ森って喫茶店があるんです。長野から上京してきて一番最初に高円寺に住んでいた頃、足繁く通っていたのがその七つ森で。まさかこんなご縁で自分が賢治に関わるとは思っていなかったですし、そのときは絵を生業にするとも思っていなかったんですけど、この話をいただいてからもう一度行きました。今もありますのでよかったら行ってみてください。
小林:それは絵に反映されていたりするんですか?
塩川:直接はされていないけど、過去の私がそこにいるから、そういう次元の感覚が面白かったです。その席にいつもいたっていうことは、私の中で事実としてあって、またそこに自分が戻ることでミックスされているというか。
小林:いづみちゃんのイーハトーヴォ的な。
塩川:うん、実在してますが(笑)。ある意味存在していないような、まだ自分が何をするかも決まっていない頃によく行っていた場所だったから、そこで宮沢賢治の挿絵をスケッチしているのは感慨深かったです。吉祥寺にもゆりあぺむぺるという喫茶店があるんですけど、そこも「春と修羅」の「小岩井農場」に出てくる言葉が店名になっていて、学生のときから普通に行っていたんです。佳境のときは、この2軒を行き来しながら挿絵を描きました。本物かどうかはわからないですけど、ゆりあぺむぺるにはたしか賢治の原稿が飾ってあるんです。そこで宮沢賢治とバーチャルに対面しているような、感慨深い制作期間でしたね。
小林:賢治が岩手から宇宙に直結していたように、賢治の世界には、東京にいても直結できるんだなって、今は思う。
塩川:場所を変えなくても、自分の想像の中で飛べるはずなんだけど、飛べなくなったときは(道が)開いたら良いなって思って行ったり。小さな頃は目にするものすべてに違う世界を感じて遊べたんですけど、大人になると理由がないとそれをやらなくなってきちゃったから、そういうふうになってしまったときにいかんいかんと思って。こういう絵を描くことでちょっとそれを自覚することができて、また助けられた感じがしました。
お客さん:「猫」!(スライドの中で、本編で触れられていなかったトークテーマを指して)
塩川:確かに。なんで山田さんは「猫」を挙げたんですか?
山田:ますむらさんが猫で漫画を描いている理由も気になりましたし、何より、この表紙の動物を初めはふくろうだと思っていたんですけど、後からお聞きしたら猫だそうで。なぜこの猫が登場するに至ったのかを知りたかったんです。これはもしかしたらブックデザインのお話になってくるのかもしれないですが。
塩川:ますむらさんに影響されているというのが答えです(笑)。アニメで観た「銀河鉄道の夜」の登場人物が猫だったので。この絵に関していうと、猫の目に銀河が映っていて、目が惑星みたいな。「ここにも宇宙や銀河がある」みたいなイメージで描いたんです。ティルマンの飼っている猫の名前が「ギンガ」というので表紙にしました。
小林:それはぴったりですね(笑)。
塩川:「じゃあ表紙じゃん!(笑)」みたいな。
小林:目のなかに銀河があるんだね。
塩川:猫と賢治については詳しい方に聞きたいですね。
山田:「注文の多い料理店」とか、「猫の事務所」とか、お話にも猫がいっぱい出てくるので、どうも気になって。ありがとうございます、一つスッキリしました。
塩川:たしかに、猫のイメージはすごくありますけど、なんで犬じゃなかったんだろう。カエルもいっぱい出てくるけど。猫は、「銀河鉄道の夜」の影響が大きいですね。ちなみに、「春と修羅」の中に出てくる、「屈折率」という篇に “七つ森” って言葉が出てくるんですけど、高円寺に七ツ森って喫茶店があるんです。長野から上京してきて一番最初に高円寺に住んでいた頃、足繁く通っていたのがその七つ森で。まさかこんなご縁で自分が賢治に関わるとは思っていなかったですし、そのときは絵を生業にするとも思っていなかったんですけど、この話をいただいてからもう一度行きました。今もありますのでよかったら行ってみてください。
小林:それは絵に反映されていたりするんですか?
塩川:直接はされていないけど、過去の私がそこにいるから、そういう次元の感覚が面白かったです。その席にいつもいたっていうことは、私の中で事実としてあって、またそこに自分が戻ることでミックスされているというか。
小林:いづみちゃんのイーハトーヴォ的な。
塩川:うん、実在してますが(笑)。ある意味存在していないような、まだ自分が何をするかも決まっていない頃によく行っていた場所だったから、そこで宮沢賢治の挿絵をスケッチしているのは感慨深かったです。吉祥寺にもゆりあぺむぺるという喫茶店があるんですけど、そこも「春と修羅」の「小岩井農場」に出てくる言葉が店名になっていて、学生のときから普通に行っていたんです。佳境のときは、この2軒を行き来しながら挿絵を描きました。本物かどうかはわからないですけど、ゆりあぺむぺるにはたしか賢治の原稿が飾ってあるんです。そこで宮沢賢治とバーチャルに対面しているような、感慨深い制作期間でしたね。
小林:賢治が岩手から宇宙に直結していたように、賢治の世界には、東京にいても直結できるんだなって、今は思う。
塩川:場所を変えなくても、自分の想像の中で飛べるはずなんだけど、飛べなくなったときは(道が)開いたら良いなって思って行ったり。小さな頃は目にするものすべてに違う世界を感じて遊べたんですけど、大人になると理由がないとそれをやらなくなってきちゃったから、そういうふうになってしまったときにいかんいかんと思って。こういう絵を描くことでちょっとそれを自覚することができて、また助けられた感じがしました。
開催協力:STUDY、マルショウアリク