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Ilustration by Shiori Hasegawa

Column_No. 01
「ここではないどこかへいきたい」という詩情

ぼくは詩人をしています。会社員として仕事をしている時間の方が長いので、じっさいにこの世界に入ったのは最近です。

近い過去までいまより多くのひとが詩を読んでいました。いまはそうではありません。有名な詩人といえばみんな教科書の年表の中。現代のヒーロー、谷川俊太郎さんでさえ、もう80歳をとうに越えられています。ぼくが先日入ることになった日本現代詩人会所属詩人の平均年齢は73歳。この世界で自分は絶滅危惧種のほとんど最後の一匹になろうとしているんじゃないか、という気がしています。

むかし、多くのひとが詩を読むことで共感し、満たされていた気持ちや手触りがあったと思います。ジャンルやメディアがなくなったとしても、人間の共通感情や気持ちまでどこかにいってしまったとは考えにくいです。このコラムではそれらがどこにいったのか探したいと思います。詩の話をするといいながら、あちこち脱線しそうです。けれども、そのプロセスを通して詩のおもしろさのようなものが見えてくればうれしいです。

ぼくが詩に近づいたのは音楽からでした。本格的にかかわるようになったのは大学生になり、ひょんなきっかけで英米詩の授業を受けてみてからですが、それまでに近かった世界というのはロックやポップ、ヒップホップなどの音楽の歌詞でした。このコラムも音楽から始めたいと思います。


道化をおいかけて⇒逃避する時代



ミスター・タンバリン・マン/ボブ・ディラン
Bob Dylan(1964), MR. TAMBOURINE MAN

ヘイ!ミスター・タンバリン・マン、なんか演ってくれよ、
眠ってられないし、いくところもない。
ヘイ!ミスター・タンバリン・マン、なんか演ってくれよ、
ジャンじゃか、ジャンじゃか騒ぎながら朝までついていくから。

魔法の船でつれてってくれよ、
ぼくの意識は丸はだか、手には感覚がない、
つま先はマヒして、ブーツのかかとがブラブラしている
どこだってよろこんで行くし、この先も踊りの魔法をかけてよ、
きちんとついていくから。

20歳を過ぎたころ、ぼくは大学生生活の折りかえし地点をすぎ、これから自分がどうやって生きていくのか真剣に考えなければいけない時期でした。はっきりと何をしたいというのはなかったのですが、何か見つけなければ、とあせりに似た思いにかられていたころでした。

そのころ好きだった音楽雑誌でみた写真では、反戦、ヒッピー、日本は高度経済成長のころ、アメリカではベトナム戦争、戦争に反対して肩を組む大勢の若い男女、交差点を渡るたくさんのサラリーマンがひしめいていました。活気があって一体感があって、なんだかみんな楽しそうだった。賛成すべきことも反対すべきことも明確に見えた。その時ボブ・ディラン(1941-)は時代の先頭に立っていました。商業主義をすて、ギター一本で社会に戦いをいどむ凛々しいすがたに多くの若者がその後についていきました。

「ディランは最高だった」(ジョン・レノン)

「彼がロックに与えた贈物は、心のこもった真剣な態度、人の心を動かさずにはおかない入り組んだ観念を進んで語ろうとする態度、社会問題、倫理問題に立ち向かう態度であった。ボブ・ディランはロック世代の良心となった。」(「ロックの意味」/ウィリアム・J・シェイファ)

「ミスタ―・タンバリンマン」に代表されるボブ・ディランの歌詞には「ここではないどこかへいきたい」という気分があります。今回とりあげた歌詞にあらわれる、「どこかへいきたい」感は相当なものです。「感覚がない」ゾンビみたいになってもいいから、どこへでも連れていってほしい、のですから。

時代が変わっても誰でもおなじような気分というのはあると思います。この「ロック世代の良心」はそんな気分に敏感に反応し、歌にしました。当時のぼくも「ここではないどこかへいきたい」と思っていたのかもしれません。いくさきも定まらぬまま、これから待ちうける未来を前にただ逡巡していました。一人で社会に立ちむかっていくことにおののいていたぼくが聞いた曲でした。

ボブ・ディランの歌詞の多くは詩になっています。自分はまだまだどこかへだって行ける、と信じられる人を鼓舞し、その先へ連れていってくれる力があります。そういう人にはぜひ聞くだけでなく読んでもみて欲しいです。


黒人労働者のブルース⇒同時代の若者へのトランジット

「七十五セントのブルース/ラングストン・ヒューズ」(木島始訳)
Langston Hughes, Six-Bits Blues

どっかへ 走っていく 汽車の
七十五セント ぶんの 切符を くだせい
ね どっかへ 走っていく 汽車の
七十五セント ぶんの 切符を くだせい ってんだ

どこへいくか なんて 知っちゃあ いねえ
ただもう こっから はなれてくんだ。

ロックの源流にブルースがあります。「ここではないどこかへ行きたい」という感情はもともとブルースが得意としていました。ボブ・ディランをはじめとするロック草創期のヒーローたちは、白人社会に搾取されていた黒人労働者を主人公としたブルースを、おとなたちに搾取される同時代の若者を主人公とするロックにおきかえました。それはアメリカから出発し、世界中の若者の気持ちをとらえました。支配層におさえつけられている黒人労働者のうたは、当時の若者たちに「それは他人事ではなく、自分たちも社会におさえつけられる存在なんだ」と意識させる仕組みに組み換えられました。「社会への疑い」、「持たざるものの視点」、「同世代感」がロックの基本要素となります。

ラングストン・ヒューズ(1902-67)はブルースと詩の間に立っている黒人詩人です。その詩はブルースの曲としても歌われ、詩としても読まれました。

ラングストン・ヒューズの詩は言葉がシンプルなだけに、沁みるときはかなり沁みます。黒人の立場を強く主張している作品は現代のぼくらにとってはちょっと共感しづらいところもありますが、全体的に感じられる素朴でダイレクトな表現はすてきです。暗い夜のなかに星がみつかる感覚があります。彼の詩は人種としては黒人以外の何ものでもない自分自身を客観的にみつめています。いいのは、自分でちょっと滑稽がっているようなところです。それは基本的にポジティブなものです。

ラングストン・ヒューズの詩は、仕事がたいへんなときに読んでみるといいかもしれません。つかれたときに、彼のうたを口ずさんでみたら、ふっと笑いがこぼれてちょっと肩の力が抜けるかもしれません。


ここではないどこかへいきたい in Japan ⇒萩原朔太郎

「旅上/萩原朔太郎」

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。

「ここから出ていきたい」という感情を素直にあらわした日本の詩はなぜかあまり見当たりません。数少ない例はこの詩。

萩原朔太郎(1986-1942)は日本の詩業界でトップクラスの有名人です。日本語の可能性を大きく広げたといわれます。「地面の底に顔があらはれ」(「地面の底の病気の顔」)たり、「まっくろけの猫が二疋」、「おわああ、ここの家の主人は病気です」とうわさ話をする(「猫」)など、おどろおどろしい歌がたくさんあります。突っこみたいところがたくさんありますが、それはまた今度の機会に。

この詩はしゃれています。紳士が白い背広をさっとはおって、クラシックカーの運転席にのりこむ、あるいは汽車のつくプラットフォームに立つ景色があります。ちょっと古い時代です。

「ふらんす」に行きたいといいますが、語り手がいくのはべつに「フランス」でなくていいのです。「ふらんす」はここではないどこかのことで、それはきままに旅することができる、その境遇のことを意味するのだと思います。諦念のようなものも感じられます。「ふらんす」にいけないのはある意味自分のせいであり、自分でできる範囲で満足するしかないのだ、と思っているふしがあります。これはかしこいやりかたです。ロックやブルースの何が何でもここから出ていく、という感覚よりも洗練されていて、こじんまりしている感じがあります。

萩原朔太郎は「日本近代詩の父」と呼ばれています。しかし、残っているエピソードは「父」というには首をかしげるものばかり。マンドリン奏者、開業医である父の援助で家族をやしなう、ここまではいいとして、生活のための仕事はしない、モルヒネやコカインの愛好者である(!)などなど。いま近くにいたら、首ねっこをつかまえて説教したくなるような人物像です。彼は永遠のモラトリアム状態で創作をしました。

まっくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根(屋根)のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』
(萩原朔太郎/猫/「月に吠える」)

真面目に考えては負けです。そもそも詩には目的などなく、それ自体で存在するものですから。このおじさんは家族と実家暮らしで、ふらんすに行きたいと思っても果たせず、誰も書いたことのない変わった詩を書いている。教科書でとりあげられる人だからといって難しく考える必要はないんだと思います。「なんかバカだな〜、アンタ、こんなの書いてて。でもなんか面白いですよね。そういうの。」がぼくの感想です。
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後藤 大祐(ごとう だいすけ)

1979年生まれ、会社員をしながら詩や文章を書いています。著書「詩集 誰もいない闘技場にベルが鳴る」、2016年1月日本現代詩人会入会。2016年度「詩と思想」現代詩の新鋭。東京大学文学部英文科(2004年卒業)で英米文学・近現代詩の読みかたを学びました。スポーツはサッカーとボクシング、見るよりもやる方が好きです。最近もっとも興味があるのとんぺい焼きです。
「カバンには詩集を」のバックナンバーはこちら。

連載コラム バックナンバー一覧
カバンには詩集を / 後藤大祐
詩人・後藤大祐さんが綴る連載コラム。一見して難しい印象を抱きがちな現代詩の世界を、軽快に、そしてわかりやすく解説。
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